こんにちは、ぐりゆうです。
20代で北海道の田舎に移住し、暮らしています。
田舎暮らしのデメリットに第一に挙げられる『不便』ですが、私自身は不便だからこそついた能力があると思っています。
そう思えることで不便を楽しめるし、実際に不便なことで得られる利益もある。そんなことについて書いていきます。
不便さは能力を生む?
平成5年生まれの私は、今ほどハイテクな世の中ではありませんが、生まれてから生活はすでに便利なものでした。
当たり前に電気水道などのインフラは整っている。
ごはんは炊飯器で炊くものだし、洗濯は洗濯機がするもの。掃除機を使わずほうきで掃除するのは学校の掃除当番くらいです。
大学生になってスマホを持って、検索能力は上がりましたが、地図読みや道を覚えることが苦手になりました。調べればすぐに答えが出るので、考えを巡らせる時間も減りました。
不便は様々な文明の利器を生み出しました。便利な世の中に育った私たちはたくさんの能力を失ったような気がするのです。
ならばあえて不便にすることは、場合によっては利益があることかも?
そんなことを考えていた時に出会ったのがこちらの『不便益』についての本。
不便なことで得られる利益(不便益)について京都大学で研究している先生の書いた本です。
田舎で暮らす不便にどこまで自分が耐えられるか心配に感じている人にも、不便を前向きに考えられるようになるのでは?と思うので、とてもオススメです。
田舎暮らしの不便さと身についた能力
田舎暮らしは、ご想像通り都会での生活に比べると不便です。
けれど、ここで暮らし始めて不便を解決するために『商品を買う』ことではなく『能力をつける』を意識して選択してみたら、たくさんのことができるようになりました。
- 食べたいものが外食できない→自分で作れるようになった
- 欲しい家具が買えない→自分で作るようになり、DIY能力が上がった
- 病院が近くにない→健康や食事に気を使い、体調を崩さなくなった
ここに書いたのはほんの一部ですが、能力を得ると自信がつきます。それはそれは楽しいことです。
お金を稼ぐ→欲しいものを買う
これも、自己効力感を上げることの一つです。でも、これは手に入れてしまえば終わり。
これを能力にするとその先の広がりがあります。
欲しいものを工夫して作る(勉強して能力を手に入れる)→それが仕事になる可能性がある
本来、仕事のあり方はこうなのかもしれません。(当たり前のことですみません、自分にとっては目からウロコでした。)
だけど、現代では能力を提供する仕事よりも時間を提供する仕事が圧倒的に多い。
時間の提供だけをして職業人生を終わらせないために、ここで「能力」の使い方について気付けたのは自分にとってよかったことです。
自分の無力さに嘆いているのは便利だからなのかもね
私は会社員を割と後ろ向きな理由で辞めているのですが、辞めた当初は
「自分なんて結局できること何もなかった」 「会社にいいだけ使われて、自分の能力を伸ばすことができなかった」 「会社名が枕詞になければ、まともに人間として取り合ってもらえない」
と落ち込んでいました。
でもこれも「ただ会社に行き、役目を果たしていればお金をもらえる」という便利な立場にに怠けていたに過ぎないなと、いまになって思います。
自分が無力だと思ってしまうのは、便利の弊害なのかもしれません。
不便だと、嫌でもやらないといけないことがたくさんあります。
今は会社名の後ろ盾も、社会的信用も無いですが「自分の食べるものは自分で調達できる」というのが一番の自分の自信になっています。
不便な場所に身を置くのも、案外良い選択かもしれません。