ぐりゆうについて

1993年北海道生まれ。

田舎で半自給自足している脱サラフリーランスです。現在は北海道の十勝の田舎町で暮らしています。スキーをすることが好き。

このブログでは持続可能(サステナブル)な人生を送るために、会社員を辞めてからの主に田舎での暮らし、環境に優しい暮らし、仕事のことについて書いています。

これからは自分の生活を持続可能なものにするために完全自給自足と、自分のお店を出店できたらな、なんて思っています。

あまり自分のことを人に説明するのが得意ではありませんが「言語化しなければ伝わらない」そんな時代だと思うので、今までの人生に何をして何を考えてこの生活をしているのか。と言うことをまとめてみました。

自分語りになってしまいますが、興味のある方は読んでいただけると幸いです。

スキーばかりしていた大学卒業まで

スキーを初めて履いたのは2歳の頃。スキーが好きだった父の影響で、立って間もないのに家の前でプラスチックスキーで遊んでいたそうです。

アルペンスキーは自分から「やりたい」と初めてお願いしたものでした。小学校1年生の頃でした。今思えば、それが長く続けられた理由だと思います。小学校2年生の時に少年団に入れてもらいました。

スキーと競い合うことの楽しさに魅せられ、それから自分の目標に向かって毎日を過ごしていました。トレーニングの送り迎えなど両親が常にサポートしてくれました。今でも本当に感謝しています。

高校生の時、いくつか全国大会でも成績を残すことができ、AO入試で中学生の頃から目標にしていた早稲田大学に入学、憧れていたスキー部で活動できることになりました。

私には決めていたことがありました。大学2年生になるまで日本代表チームに入れなければ、スキーは諦めて就職活動をするということです。

当時、今もですがアルペンスキーはマイナースポーツで、日本代表にでも入らなければ企業に入ってスキーを続けるということが難しい、というのが一般的でした。スキーを続けても「食べていけない」と思っていました。

就職活動を始める大学3年生には間に合うように自分で気持ちの区切りをつけようと思っていましたし、有名大学に入れたから就職すれば親孝行できると漠然と思っていました。

もちろん、日本代表になる道のりは想像していた通りに自分の実力では険しく、大学一杯頑張ってアルペンスキー選手は引退することに決めました。競技に打ち込む中で、人と自分を比べてしまうことに少し疲れてしまった、ということも引退した理由です。

就職活動と失ったアイデンティティ

明確な目標がなくなった大学生の私は逃げるように就職活動を始めましたが、正直に言ってやりたいことなど何一つありませんでした。

心にあるのはスキーへの愛情、お世話になった人に恩返しがしたいということ、それだけです。

今思えば、自分自身で「選手として続けるのを諦める」と線を引いたことに納得がいっていなかったのだと思います。うまくいくはずがありません。

「何者か(凄いもの)にならなきゃ」と焦ってしまい、大手企業や花のある職業にばかり薄っぺらい夢を作り上げて(頑張って思い込んで)応募していました。

そんな自分にさえも向き合えていない状態の私に内定をくれた会社が2つ。1つはCM制作会社、1つは大手リゾート。私は少しでもスキーに関われる方を、と大手リゾートに就職を決めました。

よくわからず短期留学にも行った

過重労働の田舎暮らしの違和感

会社では最も田舎とも言えるスキー場のある事業所に配属を希望しました。ホテルやレストランなどの職種も数多く経験し、2年目からスキーに関わることのできる部署に異動することができました。

人気のリゾート地だったので満室の続く毎日、あまりに忙しく毎日のように何かしらのクレームが起きることは当たり前で、イライラした空気や人の怒りに触れることで、私は毎日ビクビクしながら会社に通うことが辛くなっていきました。胃薬が手放せなくなる時もありました。今までこんなに頑張ってきたのに、何やってるんだろうとプライドも自分自身を追い詰めました。

レストラン勤務時代

残業が多いので収入こそ多かったのですが、時間がないし疲れているので外食や出来合いの食事を取ることも多く、便利家電を買ってみたり。

でも、大好きな仕事ならまだしも辛い仕事のために、自分の生活、食事や家事にお金をかけて楽をする、なんてヘン。私、今経済の歯車だ。ということに気づいてしまいました。体調も崩してしまい、この働き方って持続不可能だと。

そんな時、海外経験豊富なアルバイトの子に「次どこの国にいきたいの?」と聞くと「デンマークです」と。デンマークは幸せな国ランキング上位常連の国です。日本に比べかなり勤務時間も少ない(定時で帰るのが当たり前!)のにGDPも高く国民一人当たりの生産効率も良い。

気になって自分で調べてみるうちに、自分でその生活を見てみたいと思うようになりました。デンマークには社会人学校の文化があり、外国人でも入学可能。そこにこれからの人生のヒントがきっとある!と思い、思い切って仕事を辞めました。

憧れのコペンハーゲン

人生で一番自分と向き合えた「無職」の期間

退職をしたのは2020年の2月10日。新型コロナウィルスが猛威を振るい始めたころでした。当然留学には出発できていません。

私はブログを開設し、HTMLのコードを少し勉強し、グッズの販売を始めてみたりと色々トライしてみました。

一番良かったことは畑を本格的に始めたことでした。

熊笹だらけの庭を耕しハウスもたてました

畑を始めると、いかに自分が食べているもののことを知らなかったのかを思い知りました。同時に生ごみを堆肥にすることもはじめ、自然の循環を目の当たりにしました。

畑にいることで、今までほとんどお付き合いできていなかったご近所さんから声を掛けていただき、畑を見せてもらったり、苗もおすそ分けしていただいたり。

それからご縁があり猟師さんのお手伝いもさせてもらっています。普段食べている「命」とは何かということに向き合いながら、お肉になるまでの工程を手伝っています。

全体はお見せできないので自宅で足の骨外しの図

釣りも好きになりました。捌けなかった魚もさばけるようになりました。釣った後どうやって食べようか考える時間が大好きです。春は山菜も行って、食べるものの半分くらいは自給できるようになりました。

この生活の中で面白い!と思ったのは、1つでも食べるものが自分で手にいれることができるようになると、おすそわけ経済圏が発生したこと。仕事がなくなっても野菜、肉、魚が家にはありました。毎日苦しくなりながら会社に通っていたときよりも、気持ちはずっと豊かになりました。

これからのこと

よく、「仕事辞めて何してるの?」と聞かれます。そのたびに、何か大きな声で言えることをしていないとダメなのかな、と不安にもなるのも事実です。

でも、誰かから見て「何もしていない」状態でも、私は以前より私自身のことが好きです。それだけで、そうなれただけで私はいいと思っています。誰かから見て羨ましいとか、そんなことはどうだって良くなりました。そんなに人って他人のこと見てないです。

今はフリーランスでライターの仕事を始めました。のんびりなのもあり、収入はかなり少ないけれど、お金のことは一度置いてみて、やりたいことを考えることにしました。

それと気づいたのは、「やりたいと思っているだけのこと」が本当にやりたいものなのかは、実際にやって肌で感じないと本当にやりたいことなのかもわからないということです。なので、やりたいことはどんどんやってみることにします。「食っていけない」と諦めるのは、もう辞めようと思います。

そんな人が書いているブログです。これからたくさんのことに挑戦したいと思っています。

WORK

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