ジビエが取り上げられることが多い昨今。
「有害駆除で捨てられてしまう命を有効活用」というニュアンスの文章を見ることが多くありますが、その表現に私は違和感を感じています。(端的にわかりやすく、と言うことなんだと思うけど)
野生動物は本当に「有害」なのか。
その捉え方で本当に良いのか?個人の考えをまとめてみました。
前提:私も有害駆除をしています
狩猟をしない方には何のことやら、かと思いますが、狩猟ができる期間は各自治体ごとに設定されており、また「狩猟期間」と「有害駆除期間」というものが設定されています。
「狩猟期間」は、その県に狩猟者登録したものが狩猟することができる期間。いわば趣味の期間。
本州のハンターが道に狩猟税を払って北海道で狩猟をする、なんてこともあります。
「有害駆除期間」は自治体の役場からの依頼のもと行うもので、有害駆除従事者証と、目標駆除頭数が記された指示書というものが交付されます。
有害駆除従事者証を持っていない自治体から駆除を依頼されていないハンターはこの期間は狩猟行為を行うことはできません。
狩猟獣を捕獲するという同じ行為でもハンターの目線ではこの2つの大きな違いが「報酬の有無」で、有害駆除期間に捕獲したものに関しては申請し報酬を得ることができます。
私自身もこの狩猟期間にも狩猟をするし、有害駆除従事者としても活動をし、どちらも自家消費(自分で食べる)をしています。
駆除に報酬が出る、違和感
野生動物があまりにも増えてしまったことから、減らす必要がある。
そのため有害駆除期間は「駆除」することで行政から駆除費用を受け取ることができます。
言うなればエゾシカは賞金首。
捕獲すれば、報酬が貰えるわけですから。
釣り人の釣った魚に報酬が行政から出るようなことはないので、かなり特殊なことであると思います。
1ヶ月に何十頭も、場合によっては100頭近く捕獲する人もいます。
行政の言う「有害駆除」の観点で言えば、食べる分しか獲らない私なんかよりよっぽど仕事してくれている人、なのでしょうが。
そういった「有害駆除」された野生動物は燃やされて処理されてしまうことがほとんどです。(解体し、活用するのはとても手間がかかることでもあります)
自然界で、食べられすぎて絶滅してしまった動物は数知れずですが、他の動物の数を調整しようとしている(そのために殺すこともある)自然をコントロールしている、して良いと思っている動物は人間だけです。
何でも都合よく金額換算される「害」
エゾシカの農林水産被害額は令和二年度の北海道庁の調査によると、40億円になるそうです。
とはいえ、ビジネスでよく思うのは、やりたい物事を通すために、いかにこの数字をいかに大きく見せるかに長けている人間がいるということです。
そしてそれを鵜呑みにする人間がいかに多いか。
会社で、現場で必要なものは全然購入できないのに、現場単位で「そんなもんいらねえだろ!」という数百万円の稟議を通して実績を積むのに一生懸命な上司、いますよね。
そういうわけで、この被害額40億という数字を鵜呑みにしてじゃあエゾシカ有害ですね、駆除しましょう。となるのに
CO2をめちゃめちゃに排出している人間、地球が温暖化して生態系への被害額は100億以上、計り知れないところまで来ています、人間減らしましょう。とはならないわけじゃないですか。
そもそもなんでも金額換算してしまうのも安易であるし。
そのエゾシカが増える原因を作ったのは人間なわけですから、本当の有害は人間。
結局、都合のいいところにしか目を向けないようにする、人間のそういうところが嫌です。
「数を保つための駆除」ではなく、「循環することで数が保たれる」が前提になって欲しい
これは「目的」と「手段」の話になってしまうのですが。
現状は数を保つ(減らす)ために、有害駆除が行われています。
ハンター個々人にとっては
- 農林水産被害を減らすため(実際に農家をしていて問題意識があり自分でやろうと免許を持つ人もいる)
- 報酬のため
- 肉を食べたり、ツノ、毛皮を活用するため
- 趣味
など、目的があると思います。(複雑に絡み合っている人もいるとおもうし、最初はそうじゃなかったのにお金のための比重が重くなってしまった人もいるし、何も考えてない人もいると思うけど)
命という資源なのに、駆除して終わりなんて人間のエゴが過ぎるのではないかなと私は思う(これが、すぐにハンターをやろうと思えなかった根本理由)
今後の願いとしては、行政の報酬とかもなくていいので「個人の活用目的に獲ることで、数が保たれる、結果農林水産被害が抑制される」という自然と人間の循環がうまく回るようになると良いなと。
そうすれば、違反行為をしてまで頭数を獲ろうとする人も減ると思う。
それにしてはエゾシカが増えすぎている、というのが悩みどころですね。