なぜ猟師になったのかの話

狩猟コラム

29歳、女。

会社員(社畜)生活を辞めて3年後、私はハンターになりました。

きっと一般的には理解されないし、自分でもまだ完全に言語化できていない「狩猟をして生きる」ということ。

始めたタイミングで何を考えたのか、自分のためにも分解していきたいと思います。

なるべく食べ物を自給したいという想い

野菜自給自足

私は可能な限り自給自足で生きていきたいという思いがあります。

今までは春には山菜をとり、夏には家庭菜園で野菜を育て、夫の休みには趣味で釣りをする(もちろん食べる)生活。

今住んでいる町で暮らし始めてからご近所付き合いからの縁で、近所に住んでいるベテランハンターさんに鹿肉をもらったりと、自給とシェアの力で充実した食生活を送っていました。

自分で育てた野菜や、釣った魚を捌いて食べている方はわかると思いますが、自分が苦労して得た食べ物があると、食卓にストーリーが生まれます。

それが美味しさや、味わい深さに繋がっていて、そんな食卓が私にとって1日の中でもっとも好きな時間になっていきました。

そして、美味しい美味しいと貰って食べていた鹿肉のストーリーが気になってきました。

よくよく話を聞くとご近所のベテランハンターさん(のちの師匠)はいつも山スキーを履いて忍び猟というものをしているとのこと。

ついて行ってみても良いか聞いてみると、快く受け入れていただけました。

師匠と出会って「やってみよう」と思えた

鹿肉

初めて狩猟について行った時のこと。

今まで生きていた命が、一瞬で肉になるのを目の当たりにした時はかなりショッキングだったのを覚えています。

「いただきます」と手を合わせて生肉作業に取り掛かります。

かなりの重労働。想像することは少ないけれどいつも食べてる肉も必ず誰かがやっている作業。

食べてみたら、力強くてやっぱり美味しくて、「だから自分も頑張って生きよう」と思えた。

それから何度も狩猟について行かせてもらって、師匠は高齢だからあと1年で狩猟をやめると告げられ、「じゃあ自分でもやってみようかな」という気持ちがここで初めて湧いてきました。

山スキー
もともと大好きなバックカントリースキー

それとやってみようと思えたのは「山スキーで行く」という忍び猟の要素。

私は物心ついた時から大学卒業まで競技スキーをしていて、普段もバックカントリースキーを趣味としています。

なので山の中での歩き方、立木の多い場所や急な斜面での上り下りの際の道の切り方がそれなりにわかる。地形図も読める。

20年くらい冬は毎日のようにスキーを履いていたので、スキーを身につけていても普段歩くのと変わらず体を自由に使えることは忍び猟の時も大きなアドバンテージになると考え、もしかしたら自分に向いているかもしれないという希望がありました。

それに、キンと冷えた空気の中でスキーを履いて雪上に立つこと自体がとても好きだと思えたこと。

1シーズン丸々師匠と一緒に歩いたことで、感情的にも思考にも色々変化があって、自分でやることで物事の本質が見えるような気がしたというのも、ひとつのやろうとおもったきっかけです。

命を自分の手で殺めるということ

狩猟を始めてから、「命を自分の手で殺め、生きること」について考えます。

抵抗はあるかと聞かれれば、あります。

正直、弾を撃ってもあたらければそれはそれでホッとする。

それでも人間は命をもらい日々生きています。野菜だって命、魚や肉ももちろん命。

一般的には命を奪い捌くその工程も含め、食材を購入しています。

私はその工程を自分でやっているにすぎません。

肉を肉としてしか考えず、「今日は特売で100g48円だ」などと買い叩く行為のほうがよっぽど残酷なのかもしれない、そう今は思います。

狩猟と関わり始めて明らかに命について考えたり生きることに関して向き合うことが本当に増えたと感じています。

まだまだ知らないことがたくさんある。もっと学びたい。深いところまで。

そういうわけで、ハンターを始めました

そういうわけで、どういうわけか、ハンターを始めました。

3年前では考えてもみなかったこと、人生って面白い。

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