なんだか最近モヤモヤすることがあるから言葉にしてみる。
ルッキズムだ。
ルッキズムとは、Looks(見た目、容姿)+ ism(主義)を合わせたことばで、「外見至上主義」などと訳される。
女性なら必ずと言っていいくらい、思春期から気になってくるもの。
もちろんメディアにもガンガン煽られる。
- かわいくなりたい
- 二重になりたい
- 痩せたい
- 毛がなくなればいいのに
なんだけど、これって一体だれが幸せになる概念なんだろうか?
そんなことについて考えてみたい。
ルッキズムは誰のためのモノか
誰だって容姿を指摘されるとへこむ。
久しぶりに会った知人に、『あれ?太った?』と言われて嬉しい人間なんてきっといない。
なんだけれど、世の中には生活にはほとんど関係なさそうな『容姿』にまつわる事であふれている。
Instagramを開けばどんなアカウントが出てくるか?
- かわいい女の子
- ファッション
- ネイル
- メイク
- ダイエット
- 映える旅行先
ネットだけではなくて、ファッションビルに買い物に出かけても大体こんな感じだろう。
大体の女性が自分の容姿を気にして、なんとか今よりマシになろうと生きている。
毎日鏡をみて『もっと痩せなきゃ!』『もっと肌がきれいになるケア用品はないだろうか』などと考えている。
そしてこれらに関わる商品は無数に世の中にある。
なぜか?
要するにルッキズムは稼ぎやすいのだ。
容姿への不安をあおるのはめちゃめちゃに効果的なマーケティング手法の一つなのである。
これは言うまでもなく有名な話だけど、アフィリエイトの特化ブログを作って手っ取り早く稼げるのは『育毛関連』だといわれている。
外見を気にすることと自信の皮肉な関係
かなり前に見たメンタリストDaiGoさんのこの動画を見て目から鱗だった。
とある研究結果からこんなことが分かったらしい。
『外見チェックの回数が多くなるほど、自信を失う』
これは客観的に見た外見の良し悪しとは関係ないらしい。
何とも皮肉である。
毎日鏡見てケアしまくって自分可愛い可愛いってしているアイドルよりも、何も気にしていない私のほうが自信を持ってるかもしれない。
私が何もしないのには理由がある
私はルッキズムで消費者の不安を煽る広告がとてもとても嫌いです。
- 毛が生えてるとモテない、毛は人に見せてはいけないと煽る脱毛広告
- 太っていることがまるで悪かのようなダイエット広告
- シミ、シワがまるで消さなきゃいけない物かのようなファンデーションの広告
かつてはこういった広告に踊らされてきました。
だけど物心ついたときからずっとあるソバカスは消えなかったし、痩せても元に戻ったし、毛は生える。
だからもう私は脱毛しません。痩せるためのダイエットもしません。ソバカスも消しません。
『自信を持てるように!!』とよくこれらの広告ではうたわれているけど、自信を持ちたいなら自分を受け入れることが根本大事だよ。
ちょっとだけ幸せになれるけど、本質的ではない
もちろん、娯楽としてのこれらを否定する気はないです。
ある人にとっては新しいお洋服ででかけたり、ちょっといいコスメを買ったり、お肌がつるつるになることで、ちょっと心が華やぐかもしれないし。
だけど、その裏で不安やコンプレックスを煽られすぎて折れる心もあるだろうから、テレビに出てる綺麗なお姉ちゃんも、何もかも全部広告だよと受け止める。
そんなことを、久しぶりに試着室で全裸になって鏡を見て思った。
『あれ、すげえだらしない身体になったなぁ』
って。(我が家には全身鏡がない)
だけど、こんなにも不完全な自分を好きと言ってくれる家族や友人の存在のことを試着室で思い出して、お洋服は全部棚に戻してきた。
着てるものも、心地よければ正直なんでもいい。